2010年 04月 15日
そこに青い鳥はいない。いるのはカモだ。
 公園は退屈な場所だ。

 ある日、あなたは公園のことを想像する。いい景色だろうな、行ってみたい、と思う。頭上の木々の枝越しに差し込む太陽はあなたの顔を照らすだろう。そよ風にゆれる葉ずれの音はあなたの心深くにある柔らかな部分をそっとなでるかのごときたおやかな音楽となるだろう。あなたは、ここのところの自らを振り返る。そして自分には、清潔で穏やかな時間が必要だと思う。公園で、自然のかすかな動きに心とめながらのひとときは自分をリフレッシュさせてくれるだろう。

 で、行ってみる。木々が繁茂し、池にはカモなどが泳いでいる。ああやっぱり心なごむ、1日ゆっくりと過ごそう。そう思ったあなたは、まずはと、公園をひとめぐりする。カモは泳いでいるし、木々の緑は目にまぶしい。思い描いたとおりの水と緑と小動物満載的な光景を見て、微笑とともに心を動かしてみて(命って尊いね、とか)、さて次は何しようとなる。

 ベンチに座ってみる。木々の緑は相変わらずまぶしく、カモは元気に泳ぎ回る。でもそれは先ほどから十分に確認しているような気がする。もう心躍らない。だんだん手持ち無沙汰になってくる。しかし、そんなこともあろうかと用意してきた本をポッケから取り出してみる。高尚な本である。間違っても「プロ野球、思わずうなるいい話」とか「黄昏流星群」とかではない。

 しかし不思議なもので、公園に来ると、本の内容は頭に入ってこない。というか頭に入らない本を持ってきたのだ、ということに気づくのにそう時間はかからない。そんな時に限って、あなたの携帯にはメール1本入ってこない。あなたは時計を見る。さっきから何度も見ているから、まだ公園に来てから1時間も経っていないことは判りきっている。帰りたくなる。日々の雑用を思い出し、たいていむしゃくしゃっとした気分になる。当たり前だ。それにくたびれて公園に来たのだから。

 ああ、いっそ喫茶店で本を読んだら楽しいだろうなと思う。いやむしろ居酒屋でビールを飲みたいなと思う。仲間を、と友人を呼び出すが、彼らの携帯はむなしく留守電に切り替わる。気勢をそがれたあなたは、重い足を引きずってもう1周公園を回る。カモの能天気な鳴き声がうらめしい。

 公園では根本的に何もすることがない。そこに青い鳥はいない。いるのはカモだ。暇の扱い方を知らない人たちがイメージ先行で来てもなすすべもない。

 公園に集う人は、その退屈をあるがままに受け入れた人たちだ。暇な時間を受け入れ楽しむことができる人たち。彼らこそ、真の遊び人である。げに公園遊びは難しき。

 なんだか、茶道剣道柔道よろしく、公園道があるような気分になってきた。
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by na2on | 2010-04-15 01:23 | よりみち。


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