2010年 04月 22日
風が吹く場所。
 晴れた日に、海に面した人工庭園に行った。奇麗に刈り揃えられた芝生が植えられた池の周りを、ぼくは観光客と一緒にゆらゆらと歩いた。海水をひいた池の水面には陽光がきらめき、新緑が映し出される。その背後には、高層ビルの群れが屹立し、午後の光を反射している。

 美しく配置された箱庭のようなこの庭園の奥にある木立を入って、土手を登ると、もうひとつの池が現れる。表の明るさとは対照的に、人の気配のうすい池を、ぐるりと取り巻くように細くくねる道を歩いていると、いつの間にかひんやりとした空気がまわりに満ちていることに気づく。

 陽の光を遮る木立の中で、池はひそやかにたたずむ。波をたてない水面はその滑らかな肌に木立を映し込んでいる。かつては鴨猟のために作られたという池のほとりには、鴨を待つための小さな小屋が、今でも残されている。

 六角形の木組みの小屋に入って、池を見る。覆いかぶさるように茂る木々の枝を写し込む水面には、秘密めいた雰囲気が漂う。

 ここは、音を吸い込む池じゃないか。ふと感じる。思いつきのように頭に浮かんだ考えは、次第にぼくの中で故もなく確信へと変じていく。

 都市には、特有のノイズがある。車やエアコンといった数限りない人工物と同じく数限りない人々がそれぞれ出す音が集まってできた、単調で微妙にうねる通奏低音。

 その音は、風が運ぶ。都市に流れる風は、様々なものが発する音をひとつずつ集めて、町の中を駆け巡る。風が集めた音は、低く流れるベース音。そして風がビルや街路樹を通る時の音が、メロディーとなって音楽のようにも聞こえる。

 音を集めた風は、やがてその重みで動き回ることができないようになってくる。動けなくなった風は、とどまり、淀んでしまう。風が動き続いて、その場限りのうたをうたい続けなければならない。

 だから、たまったおりをかきだすような、音を抜く作業が不可欠だ。

 そのために、風は、東京をひとめぐりすると、この池の真上で収束して、吸い込まれる。そして、暗闇が支配する地下の通風管をたどって、音をふるい落として、新たな風として生まれ変わる。

 その目には見えぬ、空洞の太い管の中を束になった風が流れていく。音は、空洞の中でふるい落とされていく。ごうごうという轟音が暗い管の中に鳴り響く。

 しかし、この池で進められるものごとは、表面上は、静寂に支配されている。そして、水面下ですべてが無駄なくすみやかに行なわれていく。だから、そのことを知る人はいない。

 管は、海の向こうにある埋め立て地にぽつんと立つ、風車につながる。風は、そこから再び海に向け放たれる。

 風車の元の小さな小屋には、ひとりの風車番が寝起きし、風の様子を確かめ、風車の具合を調整している。余計な音が残っている風が町に流れても、風車の向きや強さを間違っても、あちこちに悪影響が及ぶ。最初はかすかな違和感がやがて大きなずれとなってしまう類いの悪影響だ。

 でも、風車番の腕は確かだ。彼は淡々と、決められた時間に風を見て、雲行きを見ながら、風車を調整していく。しゃべりたくなくてここに来たのか、ここに来たからしゃべらなくなったのかは、分からないが、無口だ。

 たまに風車の周りに作られた公園に遊びにきた人が話しかけても、彼は、最低限の言葉しか話さない。子供が興味を持つと、ポケットからあめ玉を出して、渡す。夜になると、ハーモニカの音がたまに聞こえる。多分彼が吹いているのだろう。

 池の脇に建てられた小さな木組みの小屋で、ぼくは、そんな想像をしながら実際に池に音が吸い込まれるありさまを目に浮かべる。すぐ脇の首都高速を走る車の走行音が、急に遠くからのやってくる音のように小さくなる。

 そして、海の向こうから流れてくる風のうたが、確かに聞こえるような気がして、一所懸命に耳をすます。

 からすが、かあ、と鳴いて、現実に引き戻された。車の音が耳に戻ってくる。そしてぼくは、歩き出し、町の中へ戻っていく。
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by na2on | 2010-04-22 02:06 | よりみち。


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