2010年 04月 27日
赤羽の東の台地に広がる桐ヶ丘団地は国内最初の団地として作られた。団地のパイオニアは現在、住民の高齢化が進んでいるようで、昼間、広大な団地は静まり、無表情な建物がそこここに立ち並ぶ。 歩き回ると、所々に銭湯の廃墟や子供用の手打ちパチンコ台が置かれた商店街が忽然と現れる。団地内の桐ヶ丘中央公園にはお年寄りが集って日向ぼっこをしている。その傍らでピカピカの建物が建ち始めている。団地のリニューアルが始まっているのだ。 桐ヶ丘の手前にある赤羽台団地もまた十分に風格のある巨大な団地だ。子供の姿は比較的多いが、団地内のあちこちにある公園で見ることは少ないような気がする。 UFO公園、お化け公園と名づけられた小公園には、言われてみれば確かにそう見えなくもない、面妖なコンクリートのオブジェが置かれ、動物公園と名づけられた公園には動物の形をしたライドが多数置かれる。しかしシーソー公園と名づけられた公園にはシーソーは置かれておらず、廃車のバイクが1台、その代わりに放置されていた。 山川方夫の短編で、団地に住んでいる新婚夫婦が夜ことを致した後に妻がトイレに行って水を流すと、他の部屋からも同じようにトイレの水を流す音が聞こえてくるという話がある。 同じような家庭がぎっしりと入っている団地で、皆が同じような生活をしている不気味さを描いたものだ。ある人はそれを「凍れる瞬間」と呼んだ。ふと周りを見渡した時に感じるひやりとした不気味さ。それは、どこか狂気とつながるような気がする。 小さな頃ぼくも高層団地に住んでいた。似たような家族が大勢住むその団地のぼくの部屋の前の廊下からは、以前、飛び降り自殺をした人がいるという話だった。その廊下に面した窓から毎日ぼくは外を見ていた。遠くに山が見えた。あの山の向こうに行きたい、とよく思っていた。 山の向こうにはどんな街があって、人口はどれくらいでといったことは知っていた。でも、そこには実際に行かないと判らない何かがあって、ぼくは今とは違うその何かを味わいたいと願っていた。 ぼくが子供の時ヘビーユーズしていた公園は、当然のごとく団地の脇にある小さな公園だった。子供にとっては社交場であり、いろんな面白いことや時には腹が立ったり悲しいことが起こる魅惑的なスペースだった。 山のずっと向こうにある東京に来て随分になった今、赤羽台の小さな公園に立ってその頃のことを思い出す。ずらりと並んだ動物のライドは、墓場のようにも見える。ぼくは、街や公園を通じて、小さい頃に感じていた何かを味わいたいのだと思う。でも、この公園に立つと、ぼくは結局、どこへも行っていないと感じる。ただ、時間が経っていくだけだ。 周りを見渡すと人気の薄い団地が立ち並ぶ。ここにはかつてたくさんの人々が住んで、生活を営んでいた。そして、無機質なコンクリートの塊が残った。 ずらりと並ぶ窓のひとつに、老婆が、すっと横切った気がした。でも、いくら目をこらしても、そこには誰もいなかった。 ♣♣♣ 桐ヶ丘団地/赤羽台団地(きりがおかだんち/あかばねだいだんち) *所在地:東京都北区桐ヶ丘、赤羽台周辺。 *アクセス:JR赤羽駅、北赤羽駅、都営地下鉄三田線本蓮沼駅、志村坂上駅が最寄り駅。団地内に赤羽駅発のバスも多数走っている。 ミシュラン(☆3つが最高) *ひとり: ☆☆ 無理矢理見れば2001年宇宙の旅風なコンクリートの遊具類は、その筋には有名。散策向き。 *ふたり: ☆ ‘70年代で時間が止まったままのような商店街も、その筋には有名。ふたり散策も楽しいかも。 *おおぜい:☆ 同好の士で赴いた後、赤羽駅周辺のブルージーな飲食店で一杯ってのも、楽しいと思います。
by na2on
| 2010-04-27 00:21
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