2011年 10月 20日
秋の公園。
Why Not Smile

かたいコンクリートが
きみをこなごなにしてしまった

きみがきみのことを語るために
ぼくはなんだってしたのに
なんだってしゃべるのに
漫画に出てくるレンガの壁みたいにさ
きみのことばをきくために

ずっとかなしかったんだよね
すごく心配してきたんだ
さあ、ほほえんでよ
かなしかったんだよね
なんでわらわないの

なんだってしゃべったよ
きみのことばをきくためだったら
なんでわらわないの
ずっと、かなしかったんだろ
ずうっと、かなしかったんだね。

REM "Why not smile"
http://youtu.be/4HMQznKH3MM

原詩は、REMのマイケル・スタイプ。
もっともっと、示唆に満ちた歌詞のように思うけど、意訳という名のマチガイご容赦を。

このうたは、聴いていると、死にとても近いところで歌われているように感じる。
低い声で、かえることのないかもしれない言葉を、かけ続けながら、
静かに、あるがままを受け入れ、やがて、再生へとつながっていくうただと思う。

死んだ人のたくさんの語られる事のなかった思いは、
魂とともに天に広がり夜空の星となって、
生き残った人たちの、足もとを、ぼんやりと照らし出す。
そのあかりを頼りに、ぼくたちは、一歩ずつ、前に歩き出す。

先日、久しぶりに話した、ひとがいて、
そのひとが、とおくの町で、たたかっていて。
でも、そのひとは、自分のすべきこととして前を向いていて。

一度、死をとても近くにかんじて、そして、生き続けるひとたちがいる。

ぼくは、言葉をつむごうと思う。
たいせつなひとたち、そして、愛するひとたちが、笑うような、楽しい気持ちになるものを。
たいせつなものごとや思いを、つむいでいこう。

このうたは、マイケル・スタイプがつむいだ、やさしいうた。
おだやかな秋の公園を歩くみたいな、とても、やさしいうた。
さあ、歩き続けよう。
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# by na2on | 2011-10-20 10:30 | よりみち。
2011年 06月 29日
陽のあたる場所
たとえばながい冬があり
さくらさく、はるがきて

たとえばきみの声きいて
伸ばすその手を握りしめ

そうだぼくは知っている

みどり目に染む草いきれ
落ち葉のうえをあるく音

きみが生まれた時のこと
ぼくが生まれる前のこと

ぼくはずっと知っていた

ゆるやかに時間はめぐり
さくらさく、はるがきて

きみのからだうけとめて
鼓動を今、たしかめる。

♣♣♣

 今、ぼくは「nico」という雑誌で、公園をテーマにした詩を連載しています。

 連載の内容は、23区内の公園を取り上げて、写真と詩で紹介するというもの。カメラマンが撮ってきた写真にあわせて、その公園のイメージで詩を書いています。

 夕暮れ時、花咲く季節、雨降りの午後……。それぞれの場所や時間、芝生で寝転んだり、木立の中を歩いたりしながら、かつてぼくは感じた、さまざまな思いや、心のありよう。風景と心の動きが渾然としたひとときを作り出そう、というのが、ぼくのコンセプトです。ぼくなりの「東京」を描きたい、という思いもあります。

 さまざまな姿を見せ、さまざまなうけとめ方をしてくれる。そして、行きたいと思ったときにすぐに行ける、自然への入口、それがぼくにとっての公園です。

 ところが、3月11日以降、東京の公園は、決して気軽に行けるような場所ではなくなってしまいました。福島第一原発から出てくる放射性物質は、土や草の上にふりそそぎ、今までみたいに、草の上をごろごろ転がったり、子どもの土いじりを容認することもできなくなりました。

 かつてひとりで公園に訪れていたぼくも、いつしか、子どもを持つようになっていました。自分の子らが泥だらけになり、びしょぬれになって遊べる場となった公園は、かつてとは異なる現実的なありがたみをもって、ぼくの前に存在していました。

 でも、今、ぼくは、子どもたちを公園に気軽に連れて行けません。雨も降らず、北からの風も吹いていない日におそるおそる連れて出るくらい。水も土も触らせないようにしています。

 そんな日々が続く中、ぼくは、公園を紹介する連載を続けて行こうと思います。今までどおりに、淡々と。
 もしかしたら何かしら変えた方がいいかもしれません。自分が危険だと思っているのなら、そのことを知らしめたり、少なくとも、公園の紹介をやめるべき、という考えもあるかもしれない。

 でも、ぼくは、公園を紹介し続けて行こうと思います。

 公園は、ぼくの大好きな場所であることに変わりないからです。だから、ぼくは、ぼくが感じる、そのいちばん素敵な部分だけを描き出したい。そして、読む人たちが、素敵なひとときの空想をしてもらえたら、すごく嬉しい。

 現実世界で、いつか、公園で、子どもたちと一緒に、心から笑える日が来るだろうか、東京の、あるいは全国の子どもたちが、公園で笑える日が来るだろうか。

 ぼくには、まだ分かりません。でも、戻すため、そして守るための動きを、続けて行こうと思います。その上でファンタジーをぼくは書き続けます。

 陽のあたる場所で、大切な人を全身で受け止めるために。
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# by na2on | 2011-06-29 00:59 | 連載「公園の風景」
2011年 01月 11日
雑誌『nico』で連載を開始しました。
『nico』という雑誌で「公園の風景」と題した連載が始まりました。
写真と詩で、東京の公園を紹介していく、というコンセプトです。

ぼくは、詩を担当しています。

書店などで手にとってもらえたら、とても嬉しいです。
http://www.quint-j.co.jp/web/magazine/

初回は「駒沢公園」。
テーマは「はじまり」。

♣♣♣

旅に出なければならないときが来た。
肩に力を入れて、彼は、自分に言い聞かせます。

少し前に、彼のこころは大きく揺れました。
彼は、決断したのです。
まだ、その時の揺れが、残っているようだ。
そう思った彼は、ひとりで、歩きたかったのです。

時間はたくさんあるように感じました。

そこで、彼は、一冊の本を託します。
ホールデン少年言うところの
「読み終わったら作者に電話をかけたくなる」。
そんな、本を読みながら、彼女は、待ち続けます。

旅は、再生の始まり。
彼は、歩きます。一所懸命。

でも、待つことは、喪失の始まり。
そこなわれたものは、もう二度と、取り戻せません。

彼女は、彼なんかより、ずーっと、ずっと、分かっています。
今、何がしたいのか、まっすぐに考えています。
「ねえ、そろそろ会いたいんだけど。本ももうすぐ読み終わるし」
彼は旅から戻る時が来ていることに、ようやく気づきます。

そして、大きな日時計のある、公園で、ふたりは、再開します。

日時計に埋め込まれた、小さなステンドグラスのひとつひとつ。
それらが、陽の光を浴びて、きらきらと光ります。

「ああ、この景色は確かに見たことがあるぞ」
彼は、そう思ったけど、口に出さずに、照れたような笑い顔で彼女をみます。
彼女は、ぱたん、と本を閉じて、手渡します。

「面白かった」
「他のも貸そうか」
「もういいよ」

ほんと、とんちんかんだ。
そう思ったけど、口に出さずに、彼女は、にこりと笑いました。

そこから、ほんとうの話が始まります。

♣♣♣

1年間、連載は続く予定です。
どうぞ、よろしく。
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# by na2on | 2011-01-11 01:00 | 連載「公園の風景」
2010年 05月 06日
みどりのある風景。
春の訪れとともに、すぐ近くのプロスペクト公園がソフィーお気に入りの憩いの場となった。思い出すのもなつかしいが、当時その公園は孤独な美しい金髪女性が安心して散歩できる場所だった。金色まだらの緑の葉陰から洩れ来る花粉にけむる光の中、草原に波打つ草の上にぬっとそびえたつニセアカシアやニレの大木の下では、ワトーやフラゴナールの風景画に描かれた田園の祝祭でも始まりそうな気配だ。仕事休みの日や週末にソフィーがすてきな昼食をたずさえて身を置くのも、こうした大樹の下だった。

『ソフィーの選択』ウィリアム・スタイロン著(大浦暁生訳)より

 ♣♣♣

 全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、
さはやかな匂、夏のすゞしい陰、月光色の芝生が
これから何千人の人たちに
本当のさいはひが何だかを教へるか数へられませんでした。
 そして林は虔十の居た時の通り雨が
降ってはすき透る冷たい雫を
みじかい草にポタリポタリと落とし
お日さまが輝いては
新しい奇麗な空気をさはやかにはき出すのでした。

『虔十公園林』宮沢賢治著より

 ♣♣♣

「おかしいな。」
 松井さんは車をとめて、考えかんがえ、まどのそとを見ました。
 そこは、小さな団地のまえの小さな野原でした。
 白いチョウが、二十も三十も、いえ、もっとたくさんとんでいました。クローバーが青あおとひろがり、わた毛ときいろの花のまざったタンポポが、てんてんのもようになってさいています。その上を、おどるようにとんでいるチョウをぼんやり見ているうち、松井さんには、こんな声がきこえてきました。
「よかったね。」
 「よかったよ。」
「よかったね。」
 「よかったよ。」
 それは、シャボン玉のはじけるような、小さな小さな声でした。

『車のいろは空のいろ』あまんきみこ著より
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# by na2on | 2010-05-06 21:39 | よりみち。
2010年 05月 05日
等々力渓谷公園 あっちがわへ。
 トドロキケイコク。

語感もいいし、リズムもいい。心なしか秘境感も満載で、いい名前だと思う。トドロキケイコク。

 そんな等々力渓谷、実際は護岸された小川を10分も歩けば、走破できてしまう小さな渓谷だ。途中に建てられた案内板には「都会の音を聞く」という短文が刻まれており、車の走り去る音とかを木々のざわめきと一緒に聞ける場所ですよ、みたいなことが書いてある。

 イメージの中のトドロキケイコクでは車の音なんか聞こえてこないんだが、真上を環八が横切る現実の等々力渓谷では確かに聞こえてくる。しかも結構激しく。世田谷区にある渓谷は、秘境ではない。

 でも、23区内にある秘境モドキ、と片づけるには少々惜しい魅力を持っていることも確かだ。

 考えてみれば、東京の公園では、いつだって街のノイズが聞こえてくる。人工物が奏でる通奏低音は、そこに人々が住み、営みを重ねることで生まれてくる、街のリズムを司る音だ。

 でも、公園は、ほんものの自然への入り口でもある。じっと座っていれば、別の音が、聞こえてくるような気もしてくる。例えばシーズンオフの山中や、深夜の海岸。そこに立ったときに聞こえてくる、あの、ゆるやかにループする鼓動。単調なリズムに乗っかってくる、木々や草や水面を通る風が運ぶ、雲の切れ目からさす一筋の光を連想させる、かすかな旋律。

 公園は、こっち側とあっち側の狭間にある場所だ。砂浜が広がる小さな川の河口のように、そこには、ふたつの要素が混じり合いながらも平穏である。ただ、どちらにも属さない、いわば「どこでもない場所」だ。

 東京のはずれにある等々力渓谷は、木が茂る本当の渓谷がどんな具合か。本当の田舎にある裏山の渓流がどんな具合か、そして、東京が本来どんな地形のところだったのかを彷彿とさせる場所だ。崖上には家屋が迫っているが、東京に唯一の残された自然の渓谷を歩けば、それぞれの「片鱗」が伺い知ることは出来る。天然の渓谷が残されている分だけ、その割合が、他に比べて高い。

 あっち側はどうなっているのだろう。すぐそばを流れる多摩川を渡った、東京の向こう側、そのまたずっと先にある、ひっそりとした自然は、どうなっているのだろう。川によって区切られた「こちら側」の公園を歩くぼくは、そう思う。そして、東京を出ることをふと考える。

 渓谷からよじ登ると近辺は実に閑静な住宅街だ。てくてく歩いて多摩川べりに行っても、等々力駅に戻って電車に乗り、九品仏を見ても、五島美術館の庭園を見ても、いずれにしても平穏な1日を過ごせる。

 東京の端っこにある公園は、穏やかに、今日もあの頃と変わらない自然の姿をかいま、僕たちに見せ続けている。

 ♣♣♣

等々力渓谷公園(とどろきけいこくこうえん)
*所在地:世田谷区等々力1-22,2-37,38
*アクセス:東急大井町線「等々力」駅下車 徒歩3分、他

ミシュラン(☆3つが最高)
ひとり: ☆☆  渓谷にある滝では滝行も行なえるそう。刺激的な1日を過ごしたい方はどうぞ。
ふたり: ☆☆  入り口にある料亭や等々力不動、そして周辺の町並みなど見所はたくさんあり。
おおぜい:☆   少し離れますが岡本静嘉堂の周辺は鬱蒼とした雰囲気。美術館鑑賞と併せて。
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# by na2on | 2010-05-05 22:08 | 公園案内2
2010年 05月 04日
高浜公園 ひずんでます。
 品川駅の東側、港南口は今でこそ瀟洒なオフィスビルが立ち並ぶが、そもそもはいささかうらぶれた雰囲気のところだったという。

 ぼくの連れ合いは昔、港南の運河沿いに住んでいたそうだ。彼女の言によると、倉庫と公団住宅が並ぶ寂しい町並みには潮の香りが漂っていた。そして、運河沿いの倉庫では、湾岸の独特の雰囲気と多分家賃の安さを嗅ぎ取った人たちによって、クラブイベントが行われていた。

 連れ合いは、そのうちのひとつに自転車で通い詰め、いつしかスタッフとして立ち働くようにもなった。イベントも盛り上がってくると、脇の運河に飛び込む輩が続出し、一度はレンタル品のソファまで投げ込まれたが、まあいいやと朝まで大騒ぎしたそうである。一世を風靡する直前のジュリアナ東京から嫌がらせをされたと言うのだから、なかなか人気があったようだ。

 今、高浜運河を渡り、運河沿いの暗い道を歩きつづけると、周りの瀟洒なマンションやオフィスビルにまるで似つかわしくない、小さな焼き肉屋がこつ然と建っている。おそらく地上げに屈せず残った店なのだろう。しっかりと営業しており、客もかなりいるようだ。

 要するにごった煮の港南方面と好対照を描くような高級住宅街、高輪の間を走るJRの線路をくぐるガードがある。タクシーの運転手さんだったら良く知っている抜け道だが、ここは制限高さが150cmくらいしかないトンネルだ。少々背丈のある男子は、冗談抜きで身をかがめて200mほど歩かなければならない。

 横はひっきりなしに車が通りぬけ、上からは山手線や東海道線の電車が走る轟音が鳴り響く。首をかがめた状態だから立ち止まるわけにも行かず、黙々と歩き続けるしかない。

 高輪側から、この産道のごときトンネルをくぐり抜けたところ、港南側の入り口にあたるのが高浜公園だ。

 ここを見つけた時、ぼくは頭がくらくらと来た。磁場が狂っている感覚である。目の前には新幹線とJR線の高架、後ろにも新幹線と貨物線の高架、横は団地、背後には運河のたまりがある。そんな極限まで限定されたスペースに無理やり作られた小公園。と言っても申し訳程度にライドが置かれ、申し訳程度に土を盛った丘と木があるだけのスペースだ。

 ここで常識的な公園の楽しみ方は、できない。水辺と言っても運河で、とろりと淀んだ水面を見て和む気分にはなれない。

 連れ合いに、港南口に住んでいた時の話をいくら聞いても、どうしても町並みの様子がイメージできなかった。でも、来てみると、判る。

 都会にある要素、すなわち倉庫やオフィス、飲み屋やマンションといったもの。それらはおおむね「棲み分け」が自然となされている。それぞれの語尾に「街」を付ければそこのイメージが浮かんでくる(高輪は高級住宅「街」だ)。

 しかし、棲み分けが十全に行なわれないと、歪みが生じる。その歪みがこの一帯には特に顕著に現れているのだ。カテゴライズされない異物同士がこすれ合うエネルギーがとても強い。

 地下鉄の駅にも近いここいらは、決して住み難い場所ではないはずだ。ただ、奇妙な空気が残る。緩衝地帯とも言うべき、高浜公園がなければ、街となる前のここで、クラブイベントを開いた人たちが感じ取ったであろう、磁力の強さを持ち続けるだけの、危うい場のままだったのかもしれない。くつろげない公園で不安定さをかき消した現在のこの地域が、いいところかどうか、は別として。

 いずれにしても、東京の公園には街を街として成立させる役割もあるのだ。

 ♣♣♣

高浜公園(たかはまこうえん)
*所在地:港区芝浦4-3-30
*アクセス:地下鉄浅草線「泉岳寺」駅下車 徒歩5分

ミシュラン(☆3つが最高)
*ひとり: ☆☆  すっかり奇麗になっていますが、昔の風情のある町並みの名残を見つけに歩くのも楽しいかも。
*ふたり:     ただ、カップルで歩く、というには向いていません。近くの芝浦中央公園などで遊ぶが吉です。
*おおぜい:☆   本文内で言及した焼き肉屋さんは、ちょっとした名店として知られています。いい雰囲気です。
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# by na2on | 2010-05-04 05:58 | 公園案内2
2010年 05月 03日
北の丸公園 東京の、さくら。
 北の丸公園の芝生に平日の昼間に行くと、サラリーマンがマグロの水揚げのごとく横になっているのを見ることができる。武道館や近代美術館にはさまれた芝生は、交通の便が実は結構悪いこともあって、まさに「おさぼりさま」の隠れ家としての機能を果たしているのである。

 ここいら一帯が本当に混み合うのは、桜の時期だ。公園の向こう岸の千鳥ヶ淵緑道に善男善女が集って、そぞろ歩いていく。何も知らずに行くと大変な目に遭う。むっちりとひしめき合う人々は狭い道を一列に立ち止まらずに歩く。九段下から千鳥ヶ淵の交差点まで、その人の列が延々と続く。

 いつもはレイドバックしているボート乗り場も、この時ばかりは長蛇の列で、お堀には、ようやっと乗れた人々のこぐボートが互いにぶつかり合わんばかりの密集度で浮かんでいる。にぎにぎしく、あでやかな光景を上から見ると、江戸時代の美しい色彩で描かれた浮世絵を見ているような感覚になる。

 もちろん、ゆっくり桜を鑑賞している暇はない。警備員が止まらず歩いてくれとスピーカーで叫ぶ中、あちこちで記念写真を撮る人々の群とぶつかりつつ、通りぬけないといけない。

 それくらい、この公園一帯の桜は、見事だ。

 そぞろ歩いた日の夜、ある集まりで、ある人が、イギリスから来たお客を千鳥ヶ淵に連れて行ったという話になった。

「日本の桜だって見せてあげようと思ったんだけど、すごく混んでいて」

「ぼくも行きました。ほんと、混んでましたね」

「彼も人出の方に驚いちゃって。近くのイギリス大使館の桜見せたら喜んでいたけど」

「イエス、エンバシーノサクラ、ビューティフォー」

 ブルース・スプリングスティーンが大好きだと言うイギリス人が、大体、そういった意味のことを英語で言ってうなずいた。

 桜の季節の北の丸公園一帯は東京、ひいては日本のシンボルとなるといっても過言ではない。この公園が精一杯の化粧をする日々であり、同時に街が化粧をした日でもある。それを気軽に見に行けることが、東京に住む、ということかもしれない。

 少し前までお堀端のあるホテルが、桜の季節になると「桜が咲きました」と記した小さな広告を新聞に出していた。北の丸の桜が部屋から見えるそのホテルに宿泊するのが、東京に出てきたぼくのささやかな夢だったが、そのホテルは営業をやめてしまった。

 だからというわけでもないけど、ぼくは何時までたっても、東京にどこか根ざすことができないような不安定な気持ちを持ち続けてもいる。

 ♣♣♣

北の丸公園(きたのまるこうえん)
*所在地:千代田区北の丸公園1-1
*アクセス:地下鉄東西線、半蔵門線、新宿線「九段下」駅下車 徒歩5分/地下鉄東西線「竹橋」駅下車 徒歩5分。

ミシュラン(☆3つが最高)
*ひとり:  ☆   昼間はおさぼりさまの楽園ですが、夜は近所に住む人たちの散歩の場となっているそう。贅沢!
*ふたり:  ☆☆  お堀でのボートこぎ、なんてデートは風流だと思います。所々浅いのでこぎにくかったりしますが。
*おおぜい: ☆   北の丸公園、靖国神社、千鳥ヶ淵。皇居周辺の東京の中心にはみどり濃い空間が広がっています。
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# by na2on | 2010-05-03 10:08 | 公園案内2